終末 

 

 キリストはこの世に終末が来る事を預言されました。終末とは、このバビロン文明が終わる時のことです。その前兆は現れています。

 

 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」

(マタイの福音書24章3〜8節)

 

 終末の前兆は、イスラエル復興のしるしだけでなく、偽キリストの登場、戦争や戦争のうわさ、民族主義、ききんと地震が起こるとキリストは預言しました。よく調べれば、この前兆は私たちにおなじみとなっています。終末時代の預言はさらに詳細が書かれています。

 

 聖書の最後の書、ヨハネによる黙示録は、ローマ帝国時代のキリスト教徒迫害の事だと解釈されます。もちろんその意味もありますが、それだけではありません。ひとつの預言が二つの時代のことを語るということは、預言にはよくあることです。

 終末の前兆のひとつ、イスラエルの国としての復興という預言が成されない限り、終末時代は決して来ません。紀元70年にユダヤ戦争が起こり、ユダヤ人が世界中に離散してから、1948年にイスラエルが預言通り復興するまで、終末の舞台はできていなかったのです。しかし、イスラエルが復興した時から、終末の前兆はどんどん現れ始め、その舞台ができはじめています。その終末時代の詳細を知るためには、ヨハネの黙示録とダニエル書を連動して一緒に読み解くと分かるのです。

 

復興ローマ帝国

 

「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。」(ヨハネの黙示録13章1-2節)

 

 黙示録に書かれたこの獣は、獅子、熊、ひょうに似ていると言います。もう分かりますね。この獣は、ダニエル書に書かれた、過去の3つの帝国を飲み込んだ、第四の獣ローマのことです。そのローマ帝国がルネッサンスによって復興してきたことは学びました。しかし、まだその最後の時代は来ていません。この黙示録の獣はその復興ローマ帝国の最後の姿です。

 復興ローマ帝国は、ダニエル書によると10本の足の指先部分になると預言されていました。足の長さに比べ、指は短いものです。つまり、復興ローマ帝国の存続期間は短いのです。 ダニエルの預言を再び読んでみましょう。復興ローマ帝国の詳細が書かれています。

 

 あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。

 この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。(ダニエル書 2章42-44節)

 

 復興ローマ帝国の現れる所は、ローマ帝国のあったヨーロッパと思われます。それは10カ国の連合国になると預言されています。不思議なことに、第二次世界大戦以降、バラバラだったヨーロッパ諸国は統一を目指して来ました。すべての国が一致すれば戦争は無くなると考えたのです。最初はECヨーロッパ共同体でしたが、今はEU欧州連合となっています。

 しかし、この欧州連合には難しい問題が起こっています。それぞれの国の強さが違うので、軋轢が生じているのです。まさに、この国には鉄の強さと粘土のもろさがあるので、一致団結できないのです。

 いずれヨーロッパは、いずれ何らかの形で10カ国になるか、10の地域に分かれるか、10人の支配者が出るなどで、10本の足の指の形になるはずです。

 

反キリスト

 

 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。(黙示録13章1-7節)

 

 「反キリスト」とは、「獣」、「滅びの子」「角」とも聖書で呼ばれている終末に現れるひとりの人物です。この人物は大言壮語する「にせキリスト」で、悪魔(竜)の力を持つ恐ろしい者です。それが誰かはまだ分かりません。

 反キリストは、まず偽りの世界平和をもたらします。そして、ある出来事が起こってから、その本性を現します。その出来事とは、その頭に致命的な傷を負ったにもかかわらず復活し、世界中を驚かせることです。彼は右目と腕を負傷するのかもしれません(ゼカリヤ11章17節)。しかし、その復活の力は悪魔の罠です。

 世界中は驚いて、復活した反キリストこそキリストと信じ、その像を拝み始めます。しかし、人々は反キリストを拝むことで、実は竜であるサタンを拝むことになるのです。こうして反キリストは悪魔崇拝で世界統一を目指し、復興ローマ帝国はまさに獣のような国となります。

 

携挙

 

 この人物が現れる前に、キリストは空中に降りて来て、キリストを信じる者たちを引き上げます。これを携挙(けいきょ)といいます。その時がいつであるか誰も知りません。分かっているのは、反キリストが現れる直前だろうということです。

 キリストの昇天の時に、福音宣教を託した教会は、その時一挙に地上から取り去られるのです。洗礼を受けた者でも信じていなかった人々は地上に残されます。それは教会のさばきです。現在、真のクリスチャンの数は世界的に激減しています。かつてはキリスト教国だった国々は、逆に反キリスト的な思考になっています。いつか携挙が起こっても、その時代の人々は誰も心に留めないでしょう。しかし、その人たちは大変な時代を過ごさなければなりません。それが大患難時代と呼ばれる7年間の時代です。

 

 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。(第一テサロニケ4章14〜5章3節)

 

バビロンの淫婦

 

 それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。 (ヨハネの黙示録17章)

 

 この淫婦は、地のすべての憎むべきものの母だとされています。憎むべきものとは偶像のことです。この淫婦のルーツはバビロンの偶像崇拝です。

 

 御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。あなたが見た十本の角と、あのとは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行なう思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」(黙示17章15-18節)

 

 姦淫の女とは、主人とは別の男性と関係を持つことです。バビロンの淫婦は世界中の国々に影響力を持ち、多くの複数の国々と姦淫を行います。それは宗教的な淫行です。バビロンの淫婦の座る七つの山とはローマだとされています(17章19節)。当初は復興ローマ帝国も、この淫婦が支配しています。しかし、後に反キリストが登場すると、復興ローマ帝国の指導者たちは反キリストと結託し、この世界的宗教組織を滅ぼしてしまいます。反キリストは自分を神とする世界統一宗教を打ち立てるために、この大宗教組織の存在が邪魔になるのでしょう。

 

ふたりの証人

 

 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。(マラキ書4章5節)

 

 預言者マラキは、いつか預言者エリヤの霊を持つ者が、神のさばきの前に、イスラエル民族の心を神に向けるためにやって来る、と預言しました。預言者エリヤとは、列王記に出てくる大預言者です。その預言の300年後、バプテスマのヨハネが現れ、イエス•キリストの到来を預言しました。ヨハネはイスラエルの民に対して警告をするエリヤの役割をしました。しかし、本人は自分はエリヤではないと否定しました。しかし、キリストはバプテスマのヨハネについてこう語りました。

 

 イエスは答えて言われた。「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。(マタイの福音書 17章、参照:マタイ11章14節)

 

 バプテスマのヨハネはエリヤの役割をしましたが、イスラエルはその言葉を退けました。もしイスラエルがその言葉を信じ、キリストを受け入れていたなら、彼は確実にエリヤだったことでしょう。しかし、そのチャンスをイスラエルは失い、のろいを受けて離散し、2千年間そのチャンスは来なかったのです。しかし、再びチャンスがやって来ます。その時、すべてのことを立て直すエリヤの役割をする者が、神のさばきの直前に再び現れ、イスラエルの民に向けて福音を語るのです。そしてユダヤ人は今度こそ、このエリヤの言うことを聞くようになるのです。黙示録には、あかしをするふたりの証人の預言があります。

 

そ れから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。そして彼らがあかしを終えると底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。(黙示録11章)

 

  ふたりの証人は、必ずエルサレムに現れます。キリストが十字架につけられたのがエルサレムだからです。そして、彼らはイスラエルの民に対してだけでなく、全世界に対しても、キリストの福音と神のさばきをあかしします。そのあかしの期間は3年半です。しかし、全世界の人々は彼らの話を聞いて、彼らを憎みます。彼らがやがて訪れる神のさばきの到来を語り、神への降伏を勧め、悔い改めを説くからです。彼らは神の最後通牒です。しかし、全世界がこのふたりの言葉を聞いてつまずき、ついには彼らを殺して欲しいとまで願うのです。その望みを叶えることができるのは反キリストだけです。反キリストはエルサレムにやって来て、ふたりの証人の殺害に成功します。

 

イスラエルの最後の70週目 

 

 その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。彼(反キリスト)は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。(ダニエル9章)

 

 イスラエル民族とエルサレムには70週が定められており、その69週目にキリストは断たれ、町と聖所はローマ軍に破壊され、イスラエルは歴史の表舞台から消えたことは学びました。イスラエルは終わったと誰もが思いました。しかし、そうではありませんでした。最後の70週目の預言がまだ残っていたのです。イスラエルはその最後の一週のために、全世界から帰還し、再び表舞台に現れたのです。最後の70週目が来ると、再びイスラエルの歴史時計が動き始めます。

 その一週は7年を表します。その最初に反キリストが登場し、復興ローマ帝国に君臨することで始まります。これが大患難時代です。7年の真ん中の三年半後に大事件が起こります。

 

 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(第二テサロニケ2章4節)

 

 使徒がこの手紙を書いた当時、ユダヤ戦争はまだ起こっておらず、エルサレムにはまだ第二神殿が建っていました。しかし、その後のユダヤ戦争で宮は破壊されてしまいます。以来エルサレムは異邦人に踏み荒らされたまま、宮は未だに再建されていません。

 しかし、イスラエルが建国された今、宮の再建を目指すユダヤ教徒は沢山います。預言によると、いつか必ずエルサレムに宮が再建される日が来るのです。そして、ユダヤ教の儀式も復活します。そうなれば、反キリストの神宣言の舞台はできあがります。

 反キリストは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大聖地のエルサレムの宮にやって来て、ユダヤ教の儀式を止めさせ、「荒らす忌むべきもの」である自分の像を立て、自分こそキリストであると、全世界に向けて宣言します。しかし、反キリストの支配は残り三年半です。

 

 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。(マタイ 24章16-22節)

 

 キリストは「荒らす憎むべきもの」が聖なる所(宮)に立ったら、ユダヤにいるキリスト教徒は山に逃げるようにと教えています。

 「荒らす憎むべきもの」は、かつてエルサレムに一度現れたことがあります。セレウコス朝シリアの王アンティオコス・エピファネスが、神の宮に異教の像を建て、それに怒ったユダヤ人たちが立ち上がり、マカベア戦争が起こったことは学びました。

 キリストの時代、すでにマカベア戦争は過去の話でしたが、キリストはこのダニエルの預言を引用し、終わりの時代にも同じようなことが再び起こると預言されたのです。つまり、イエス•キリストが来る前にエピファネスが現れたように、キリスト再臨の前に反キリストが来るのです。

 そして、反キリストは、エピファネスが立てたような荒らす憎むべきものを、再び聖なる所に立てるというのです。黙示録には、その像の詳細が描かれています。

 

 「それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」(黙示録13章節)

 

 自分でものを言うことができる偶像、このような光景は可能でしょうか? 一昔前なら夢物語でも、現在なら十分可能と言えるでしょう。人型ロボットも性能が良くなり、年々人間そっくりになっています。反キリストは、喋る自分型ロボット像をエルサレムに安置し、人々に拝むよう強制させるのかもしれません。また、反キリストを信じる者には、体に刻印を受けさせ、数字で管理するといいます。いずれも今の科学力ならば可能です。かつては不可能とされていたことが、ここ数年で可能になる時代がやって来ました。

 この獣の数字666が何を意味するかは、諸説がありますのでここでは触れません。しかし、その時代のキリスト教徒には、その真の意味が明かされることでしょう。この獣のしるしを決して受けてはならないと警告されています。このしるしを受けるか受けないかで、悪魔を信じるか、信じないかが決まるのです。しるしを受けた者はきっと悔い改めができないようになるのでしょう。彼らはキリストに滅ぼされます。

 こうして世界中が反キリストを礼拝しますが、従わない者たちが出て来ます。それは女の子孫の残りの者(黙示12章17節)である真のキリスト教徒です。ふたりの証人の話を聞いて、信じた者たちです。

 かつてのローマ皇帝が、皇帝礼拝をしないキリスト教徒を殺したように、反キリストは、自分を拝まないキリスト教徒に大迫害を行い、この世から抹殺しようとします。こうして、ローマ帝国の獣のような残虐性が完全復活するのです。そしてついに、世界全体が2千年前の籠城下のエルサレムのような恐ろしい状況になるのです。

 この時代、世界的な大洪水が起こり、戦争と荒廃が地球を襲うでしょう。この7年間は荒廃しかありません。しかし、それはキリストの再臨のしるしです。反キリストが神宣言をしてから、恐ろしい世界支配が始まりますが、それは三年半で終わり、彼は「人手によらず」に滅ぼされるのです。

 

キリストの再臨とイスラエルの再興

 

 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。 (使徒1章10-12節)

 

 復活したキリストが昇天した場所は、エルサレムの東にあるオリーブ山です。御使いは弟子たちに、キリストは「同じ有様でまたおいでになる」と言われました。

 キリストが帰って来られる場所はすでに決まっています。それはエルサレムの東にあるオリーブ山です。キリスト生誕500年前の預言者ゼカリヤは、「主の日」と呼ばれる日に起こることを次のように預言しています。

 

 見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。(ゼカリヤ14章)

 

 キリストは2千年前に昇天したまさにその場所に帰ってきます。それはこのゼカリヤの預言と符合します。キリスト昇天から再臨までは、異邦人の時代であり、神の恵みの時代でしたが、その期間が終わると、キリストは人類を自滅から救うために来られます。かつてキリストは、人類の罪を贖う「苦難のしもべ」として来られましたが、今回は世界の「さばき主」として再臨するのです。

 キリストがオリーブ山の上に降り立つその時、山が二つに割れて谷ができます。その時、多くのユダヤの民が、このゼカリヤの預言を思い出して、その谷に向かって避難しに行くのです。そこでキリストを見上げると、その顔はそこなわれて、人のようではありません(イザヤ52章14節)。何と、2千年前に、自分たちイスラエル民族が待ち望んでいたキリストを、実は自分たちが突き刺していたことを知って深く嘆くのです。

 

「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。(黙示録 1:7)」

 

 「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ12:10)」

 

 神はイスラエルに御霊を注がれ、そのかたくなさは取られ、彼らは心から悔い改めます。こうしてイスラエルは、エゼキエルの預言のごとく息が入り、目が開かれ、イエスをキリストとして認め、霊的に復活するのです。こうして、ついに異邦人の時代が終わり、イスラエルは再興します。もはや彼らは二度とキリストから離れません。

そして、再臨したキリストは、エルサレムを攻めに来る反キリストの軍勢を迎え撃ちます。

 

ハルマゲドン

 

 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。(黙示録16章)

 

 この「ハルマゲドン」という言葉は、今や世界最終戦争という意味で一般的に使われるようになっていますが、実は場所の名前で、ヘブル語でハル•メギド(意味は「メギドの丘」)といいます。メギドの丘はイスラエルにある大平原です。ヨハネの黙示録によると、ここにいつか反キリストたちによって、世界中の軍隊が召集されるというのです。何をするためでしょうか。再臨したキリストと戦うためです。初臨のキリストは柔和なろばに乗っていましたが、再臨のキリストは勇敢な馬に乗っています。今度はキリストの力強い力が現わされます。

 

 また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。(黙示録19章)

 

 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。(詩編46篇6−11節)

 

 主は、エルサレムを攻めに来るすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。その日、主は、彼らの間に大恐慌を起こさせる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いになぐりかかる。(ゼカリヤ書 14章13,14節)

 

 ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々は御前で震えるでしょう。私たちが予想もしなかった恐ろしい事をあなたが行なわれるとき、あなたが降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。 (イザヤ書 64章) 

 

 キリストは、世界中から召集された反キリストの軍隊を迎え打ちます。そして世界中の戦いを止めさせ、ご自身を世に現します。バビロン文明のために地は荒廃し、人心は悪に染まり、もはや回復できない所まで来てしまった絶望の地上に、キリストは救世主として来られのです。

 キリストはその時に起こる事をこう預言しました。

 

 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。死体のある所には、はげたかが集まります。これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。(マタイの福音書24章)

 

 「人の子」とはキリストの別称です。その日、キリストのしるしが天に現れ、全世界の人々は、キリストが天から下ったと知るでしょう。それがどんなしるしかは分かりません。しかし、全世界は悲しみに包まれます。信じていた反キリストが実は悪魔であり、迫害していたイエス•キリストこそが、神のキリストだったと知るからです。科学では理解できないことが起こり、人々は驚愕します。

 こうして、ダニエル書の預言通り、人間の力頼みのバビロン文明は、「人手によらずに切り出された石」キリストによって、粉々に砕かれ崩壊します。戦争と荒廃の終末時代が終わり、キリストの王国がエルサレムに訪れます。これが終末の真の姿なのです。

    

キリストの空中再臨

 

 キリストが再臨される時に起こるもうひとつの出来事は、死んでいたキリスト教徒が復活し、生き残っていたキリスト教徒が世界中から集められ、キリストの花嫁となることです。これを専門用語では、空中再臨、あるいは携挙(けいきょ)と言います。

携挙の時期については、7年間の患難時代の前•中間•再臨時という諸説がありますが不確定です。しかし、キリストの再臨の時には、世界中からキリスト教徒が集められるということは間違いありません。これについては「神のみこころ」の章で詳しく学びましょう。

 

  そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マルコの福音書13章)

 

 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。

それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(テサロニケ人への手紙第一4章)

 

千年王国

 

 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。(黙示19章19-21,20章1-3節)

 

 こうしてサタンは縛られ、千年間封印されます。そしてキリストを中心にした千年王国が始まります。その預言は次のイザヤの預言とも符合します。

 

 その日、主は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである。(イザヤ24章21-23節)

 

最後の審判

 

 しかし、千年後にもう一度サタンは解き放たれ、エルサレムは攻められます。神は再び御力を現し、その軍隊を殲滅します。こうしてサタンの罪の目盛りは完全に満たされ、ついに完全に滅ぼされることになります。こうして蛇の子孫は滅び、キリストは蛇(サタン)の頭を砕き、創世記冒頭の原始福音の預言が完全に成就します。

 

 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた

 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。(黙示録21章)

 

 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。

 その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ25章6-9節)

 

 最後の審判が行われる時、死んでいたすべての人間が復活し、神の御前でさばきを受けます。それが終わると、神は「死とハデス」も滅ぼされます。ハデスとは死んだ人間がさばきの日まで集められている所です。もう死ぬ人がいなくなるので、ハデスも滅ぶのです。こうして全世界がキリストの支配下に入ります。そして、キリストは神に従い、その国を神に渡されます。新しい時代がやって来るのです。

 

 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(第一コリント15章24-28節)

 

 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。 (黙示録 22章14節)

 

 創世記で人が堕落して以来、いのちの木に到る道は閉ざされ、死がこの世に入って来ました。しかし、終わりの日には、そのいのちの木への道が完全に回復し、人は再び永遠のいのちを得るのです。

 

新しい天と地

 

 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21章)

 

 神は、今のこの天地万物をすべてを新しくされるといいます。それがどのようなものなのか、私たちには想像もつきません。人間の文明によって汚れてしまい、回復不可能になったこの地上も過ぎ去って、新しい天地が神によって創られます。そして新しいエルサレムが降りて来ます。

 

 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(ペテロの手紙第二3章)

  

 これが私たちの希望の約束なのです。キリストはこう語っています。

 

 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(マルコ13章28-31節)

 

時のしるしが現れてきました。人の子が近づいています。

キリストを信じるなら、聖書はあなたに救いを約束しています。

この世界はもはや限界です。その原因は私たちの罪です。

神はあなたと和解したいと、手を伸ばされています。

どうか、その御手を拒まないで下さい。

 

【神のみこころ】に続く