現代文明と聖書

 

現代文明の源流 

 

 私たちの現代文明の源流をさかのぼれば、古代バビロン文明に突き当たります。 バビロン文明とは、別名メソポタミア文明、またはシュメール文明とも言われる世界最古の文明であり、他のどの文明も、このバビロン文明の影響を受けています。

  メソポタミアとは、「複数の河の間」 という意味で、チグリス川とユーフラテス川の間の平野、現在でいえば、中東のイラク周辺のことを言いました。「カルデア」はメソポタミア地域の別名です。

 このバビロン文明発祥のものといえば、私たちの生活にもおなじみの物が沢山あります。例えば、 呪術(魔術、科学を含む) 占い、偶像礼拝、オカルトなど、見回せば今もなお根付いているものばかりです。 最近は魔術やオカルトがモチーフのアニメや映画が人気を博していますが、元を正せばこのバビロンがルーツです。

 このバビロン文明は、昔から聖書の記述にはあったものの、長い間世の中から忘れ去られており、一時は「実在しない神話」とさえ思われていたものです。しかし、十九世紀に入り、考古学者たちの発掘によって、神話だったはずのバビロンの遺跡が次々と発見され、改めて聖書の記述の正しさが明らかにされたのです。

 

バビロンの源流 

 

 また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。

大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。」(黙示録 14章21節)

 

 これは聖書の一番終わりの書「ヨハネによる黙示録」の預言です。「預言」は「予言」とは違います。神の言葉を預かった者が人々に伝えたものが預言です。

 神は終わりの日に「バビロン」が倒れる、と使徒ヨハネに伝えました。しかし、なぜ神はバビロンに対してそんなに怒りを燃やされるのでしょう? 一体このバビロンの正体とは何なのでしょう? 黙示録にはその理由が全く書かれていません。その謎を解いて行きましょう。実は、今を生きる私たちに非常に関係していることなのです。

 その謎を解く鍵は、聖書の一番最初の書である「創世記」のアダムとエバの堕落にあります。

 

 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3章4-5節)

 

 エデンの園にいたアダムとエバの話は有名です。神に創られた人間は、エデンの園に置かれ、何不自由なく暮らしていた神の友であり、永遠のいのちを持っていました。ところが、そこへ蛇がやって来て、神が食べるなと禁じていた善悪の木の実を食べるように誘惑したのです。この蛇はサタンの化身でした。 

 サタンとはヘブライ語で「神の敵」という意味です。蛇は神を批判し、その実を食べれば、人も「神のようになれる」と誘惑しました。この時、アダムとエバの心の奥底には、神になりたい欲望が起こったのです。もし神になりたくなかったなら、実を食べることは無かったでしょう。人は神の言葉よりもサタンの言葉に従い、神の法を破ってしまいました。これが最初の罪でした。しかし、「死なない」という蛇の言葉は偽りだったのです。ふたりはこの時から、エデンの園を追放され、義なる神の下から、サタンの支配下に入り、いのちの木への道を断たれ(創世記 3:24)、死ぬことになり、完全に失われたのです。

 そこで人は自力でエデンの園を作り、神になる道を上ろうと奮闘努力し始めたのです。それが文明の始まりです。バビロン文明の思想の源流は、このエデンの園の事件に見られます。それは神を退けて、自らが神のようになろうとする罪なのです。

 

ノアの洪水

 

「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」(創世記6章11-13節)

 

 アダムとエバの子孫は増えて行きました。その頃、全世界のことばは一つでした。現代では、うらやましいように思うかもしれません。しかし、言語の壁がなかったために、悪の感染力は非常に早く、あっという間に地上は悪で蔓延しました。良いことよりも悪いことの方が伝染しやすいものなのです。神を信じる信仰者は急激に減少して行き、ついに世界でノア一族以外に、真の信仰者がひとりもいなくなってしまったのです。 

 神はその絶体絶命の時に、大洪水というさばきをおこし、悪を行う者たちを滅ぼし、義人ノアの家族を箱船に導き入れて助けました。もし、この時に神の介入がなかったら、ノアの子孫もいずれ悪に汚染され、人類は完全に悪一色になり、悪魔の勝利となってしまったことでしょう。 

 

世界最初の権力者

 

 「ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。

彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアル(シュメール)の地にあった。」(創世記10章8-10節)

 

 さて、ノアには三人の息子がいました。セム、ハム、ヤペテです。そのハムの子孫に「ニムロデ」という人物が現れます。ニムロデは世界最初の権力者となり、「バベル」を建国しました。

 「ニムロデ」の意味は「我々は反逆しよう」です。何に対してでしょう。彼以上の権力者はいませんでした。彼は神に反逆して王国を立てたのです。ニムロデは権力者による一党独裁システムの創始です。ひとりの権力者を頂点にヒエラルキーを作り、人を上下で差別し、少数の上層部が多数の下層部を支配するというピラミッド型組織を発明したのです。そのシステムは今やどの国でも見られますが、その創始はニムロデです。バビロン文明の原型がこの一党独裁統一国家の形にあります。そのニムロデがバベルの都市国家を作りました。場所はシヌアル(シュメール)です。これが世界最古のメソポタミア文明です。

 

バベルの塔

  

 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」

 そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

 こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(創世記11章1-9節)

 

 大洪水という危機の後、再び地上に危機が訪れました。人間たちは神の領域の天に上ろうと一致団結し、天にそびえる塔を作り始めたのです。神は、人がこのまま進み続ければ、ノアの時代のように、地上は悪一色になることをよくご存知でした。神は再び悪が増大しないようにと介入し、言語を混乱させました。 そして、ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテから言語が派生し、それぞれの民族、国語に分かれ、全地に散って行ったのです。言語学者たちも、その三つの語族による分類法を認めています。

 バベルとは、「混乱」という意味です。なぜ神は言語を混乱させたのでしょう? 言語が異なれば、民族、国語ごとに壁が出来ます。それは腐敗のスピードを遅らせ、抑止力を作る効果を生み出しました。例えば、民族、国語という壁があれば、ある国が腐敗したとしても、その壁のおかげでその悪はすぐに隣へと広まって行きません。隣国を征服しようと戦争を起こしても、全世界を征服するまでには、たくさんの民族•国語という障害があるので非常に難しいのです。

 「神様がバベルで言葉を混乱させなかったなら、世界は一致していて良かったのに」というような批判が聞こえてきます。言語が一つなら、世界は一家、人類はみな兄弟となり、世界はもっと平和になるはず、とこの世の人は考えます。 しかし、本当にそうでしょうか? 第二次世界大戦で、もしヒットラーが世界征服を達成していたら、20世紀後半はどれほど恐ろしい悪に落ちていたことでしょう。侵略戦争は武力でどちらか一方に染めようという行動です。しかし、その根底には、世界をひとつの独裁国家にし、支配したいというバベルの欲望があるのです。

 そこで神は、世界が一致団結し、一気に腐敗するのを防止する「抑止力」を作られました。それがバベルでの言語の混乱です。こうして悪の全世界汚染の危機は、神の介入によって免れたのです。

 さて、ではグローバル化が進んでいる現代はどうでしょう? 世界は急速に繋がってひとつになっています。その結果、世界は昔よりモラルが上がったでしょうか? いいえ、むしろ悪の伝染力は昔よりも早まってはいませんか? グローバル化するにつれ、世界はよりバベルの時代に近づいています。

 なぜ世界は、良くならずに堕落して行くのでしょう。歴史を見れば明らかですが、どの国も良い時代はそう長くは続かず、必ずどこかで堕落が起こり、それが蔓延し、エスカレートして悪が花開き、ついには戦争が起こります。それはどこの国も同じです。人は堕落した時以来、ほっておくと、そのままではどんどん堕落していく性質があるのです。それが罪の性質なのです。ですから、人には腐敗を止める抑止力が必要になるのです。

 

なぜバビロン文明が悪いのか

 

「こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。」(イザヤ書13章19節)

 

 では、バビロン文明のどこが実際に悪いのでしょうか? 文明の発展のおかげで、暮らしは便利になり、良いことが沢山あったと私たちは考えがちです。もちろん恩恵も沢山あったことでしょう。しかし、逆に負の部分は見逃しがちです。バビロン文明の影響があった国の終わり方を見れば、その負の部分が見えて来ます。 

 バビロン文明の流れを汲んだ新バビロニア帝国は、当時世界で最も豊かな国でした。しかし、預言者イザヤはそれが荒廃すると預言しました。これはバビロンに対する神の滅亡宣言でした。当時、この預言を聞いた人は、とうてい信じられなかったでしょう。今だったら、東京やニューヨークが、いずれ草木一本生えない大砂漠になると宣言されたようなものです。

 この預言の成就は今でも実際に見ることができます。バビロンのあった現在のイラク周辺の土地は、今や完全に砂漠化し、遺跡しか残っていません。町は砂に埋もれ、何千年も忘れ去られていました。なぜそうなったのでしょうか? それは環境破壊という「人災」によってでした。

 バビロンは農地に灌漑システムを作り、一時的に豊作になりましたが、その結果、塩害が起こり、土地が死んで、作物が育たなくなってしまったのです。

その後にバビロン文化を引き継いだギリシャ帝国もローマ帝国も、環境破壊が原因で滅亡の一途をたどりました。この文明は必ず環境破壊を引き起こし、その結果、国力が弱体化し、荒廃するのです。それも回復不能の荒廃です。

(参考:平成7年環境白書)

 

 

バビロン文明の流れ

 

 バビロン文明は、サタンである悪魔の思想が土台となっています。悪魔は、人を神に敵対させ、神のようになろうと誘惑します。では神は、人が神のようになるのを恐れたり、妬んでおられるのでしょうか? いいえ、そうではありません。神は人が神になろうと悪魔の言葉に従って行けば、恐ろしい結末に導かれることを最初からご存知なのです。悪魔の導く行く先は滅びです。神はこの文明全体の行き着く先を、前もって警告して下さいました。それが旧約聖書のダニエル書に預言されています。 それを調べてみましょう。

 

 イスラエル民族の歴史については後で学びますが、預言者ダニエルについて、少しだけ説明します。ダニエルは神を信じるイスラエル人でした。イスラエルの国は罪を犯し、新バビロニア帝国に完敗し、民は捕囚となって、バビロンへ強制的に連れて行かれました。これが有名なバビロン捕囚です。その捕囚の民の中にダニエルもいたのです。ダニエルは信仰深いだけでなく、神の預言者でもありましたが、何と新バビロニア帝国の王、ネブカデネザルに仕える者となりました。

 

  ある日、ネブカデネザル王は夢を見、その夢をダニエルが解き明かしたのですが、それは、このバビロン文明がどのように形を変えて流れて行き、どのような結末を迎えるかという驚くべき歴史の俯瞰図でした。

 もうひとつはダニエル自身が見た夢です。両方とも、同じことを別の比喩の形で預言しています。ふたつの夢を一緒に学んで行くと謎がさらに解けて行きます。

まずひとつめはネブカデネザル王の見た夢です。

 

 王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。

 あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。これがその夢でした。

 私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。(旧約聖書ダニエル書2章31-40節)

 

 さて、ふたつめはダニエル自身が見た夢です。

 

 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。

 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。

 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。

 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。

 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。(ダニエル書7章1-7節)

 

 このふたつの夢をまとめてみると、このバビロン文明は、「人」の形をした大きな像のようであり、頭から足に向かって歴史がつづられて行きます。

 

 

 そしてこの文明は、4つ帝国に変形して行くのですが、その価値は、金から、銀、銅、鉄と進み、どんどん下がって行くのです。

 まず、バビロン文明の流れを汲む第一番目の国は、新バビロニア帝国です。その王ネブカデネザル自身が金の頭と言われているのですから、間違いありません。ネブカデネザル王はイスラエルの神を認める謙遜な王でした。その価値が金と言われるのも、神を認める謙遜な所でしょう。また、今でも当時の発掘を見れば、バビロニアが非常に豪華な文明だったことが分かります。

 第二番目の国はメディア•ペルシャ帝国です。確かにこの国は、メデイアとペルシャのふたつの国が腕を組んで合体してできた帝国で、後の新バビロニア帝国を倒し、その文化を吸収しました。

 第三番目の国はギリシャ帝国です。 ギリシャのアレキサンダー大王は、メディア・ペルシャ帝国を滅ぼし、まさに「ひょう」のように、あっという間に地中海世界を支配しますが、わずか33才で亡くなります。大王の亡き後、帝国は四つの翼に象徴される王の部下の四人の将軍、アンティゴノス、プトレマイオス、セレウコス、 リシマコスによって分割されます。

 そして第四番目に現れたのが、鉄のすねと足の恐ろしい獣の国、ローマ帝国です。ローマ帝国はギリシャ文化をそのまま吸収し、強力な武力であらゆる国々を次々と征服して属州にし、重税を取り立て、「皇帝」を神格化して礼拝を強要し、独裁統一国家を目指したのです。

 ローマはまさにバベルの中央集権システムを継承し、具現化したような恐ろしい国でした。その第四の獣は後に二つの足に分かれ、最後に10本の指先の形になるのですが、そこへ大きな石がやって来て、その文明の像を跡形もなく砕いてしまうというのです。これがバビロン文明の終焉です。

 

 ルネッサンスの真の意味

 

 紀元1世紀、第四の獣であるローマ帝国内で、キリスト教が爆発的に広まり始めました。ローマ皇帝は、皇帝崇拝を強要し、それを拒否するキリスト教徒を迫害しました。しかし、迫害すればする程キリスト教は広まって行きました。

 長い戦いの末、ついに紀元392年、キリスト教はローマの国教となりました。残虐だったローマ人が紳士になったのはキリストの福音の影響でした。ローマはキリスト教の影響で、徐々にその「獣性」が抑制されて行ったのです。

 国教となった初代教会は、まず手始めに、帝国内のギリシャ・ローマ文化を封印し始めました。なぜなら、初代教会は聖書のこれらの預言を知っており、ローマ文化の源流が神の敵であるバビロンだと見抜いていたからです。教会は文明の進歩にブレーキをかけたのです。もしローマ帝国がそのまま文明を発展させて進んでいたら、何百年も早く今の現代社会の状況に到達していたかもしれません。神は教会を用いて文明の発展を抑え、滅びを遅らせる抑止力として用いたのです。

 その後、ローマ帝国は、東ローマと西ローマの二本足に分かれ、その後バラバラに解体されて行きます。帝国の統一は崩れ去り、バビロン文明は封印され、一時滅んだかのように見えました。しかし、ダニエルの預言によると、バビロンがそこで滅ぶことは無かったのです。

 さて、 「ルネッサンス」の現代人のイメージは、「文明の曙」といった非常に明るいものでしょう。逆に、「中世」の現代人のイメージは、「暗黒時代」といった非常に暗いものです。しかし、聖書を通して中世を振り返ると、全く逆の面が見えて来るのです。

 初代教会による文明排斥の結果、ローマ帝国のギリシャ•ローマ文化は衰退しました。しかし、その流れはヨーロッパでは影を潜めましたが、それは異教国のイスラム帝国に輸出され、発展して行ったのです。

 時が流れ、次第にローマ教会は組織化され、本来のキリスト教とは全くかけ離れたことを教えるようになり始めました。豪奢な教会堂の建築資金集めに免罪符を売るなど、支配者が都合の良いようにキリスト教会の組織を利用し始めたのです。教会は堕落し、聖書の正しい教理は封印されました。

 11世紀になると、聖地エルサレムを異教徒から奪還するという名目で、十字軍遠征が起こりました。しかし、十字軍がそこで見たものは、ギリシャ・ローマ文化を発展させて高度な文化を誇っていたイスラム帝国でした。彼らは自国に戻り、かつて自分たちが封印したギリシャ・ローマ文化を掘り起こし始めたのです。これがきっかけとなって、14世紀にルネッサンスが起こります。

 ルネッサンスとは「再生」(re- 再び + naissance 誕生)という意味で、古代ギリシャ・ローマの学問・知識の「復興」という意味です。こうして人文主義(ヒューマニズム)が復活しました。現代の私たちは、ヒューマニズムというと、人道・博愛主義的なものを想像しますが、 実はそれは大間違いです。真のヒューマニズムの意味は、神を否定し、人間を世界の中心と据える人間中心主義思想であり、それはまさにバビロンの思想そのものなのです。

その影響を受けているダーウィンの進化論は仮説でありながらも、今では常識のように世界で教えられています。人 は「獣」から進化した生物と教えられ、人が獣と同等にされた結果、神の概念は失われ、人が神の座に着きました。その結果、善悪の明確な基準が失われ、 道徳の混乱が起こっています。そうなると人は、精神的に病み、「獣」のようになっていくのです。

 つまり、ルネッサンスとは、封印されていたバビロンが目覚め、第四の獣であるローマ帝国復興の初めの一歩だったのです。しかし、そのころ宗教改革が起こり、キリスト教会にリバイバルが起こり、プロテスタントが台頭し始め、封印されていた聖書の正しい教理が復興し始めたのです。人々はキリスト教をもう一度見直し始め、教会は息を吹き返し、バビロン文明の抑止力になりました。

 

現代文明の現在と未来

 

 ルネッサンスを経て、18世紀にイギリスで産業革命が起こってからは、世界中がバビロン文明開花に追従しました。よく西洋文明はキリスト教文明と呼ばれますが、思想面においてはその影響があっても、その文明の真の姿はバビロン文明です。しかし、世界はバビロン文明は輸入しても、キリスト教を受け入れたわけではありませんでした。世界は福音という抑止力を持たないまま、バビロン文明を発展させて行くことになったのです。

 そして現在、科学技術革新による大量生産、大量消費が起こり、魔法のように生活が向上しました。しかし、それを支えるには大量なエネルギーが必要です。石炭から石油へと、エネルギーの依存は変わりました。この文明の弱点は、動力源となるエネルギーがなければ維持不能という点です。さて、一度そのような依存の歯車が回り始めると、もう後戻りはできません。必要なエネルギー量は年々増していきました。このような資源依存の生活は、資源枯渇が起これば死活問題となります。いつの間にか世界は、資源争奪のために戦うようになりました。そして、世界大戦のような大規模な戦争も起こしました。兵器開発もすさまじく、ついには原子爆弾をも生み出すまでになったのです。未だかつてない大量殺戮兵器が次々と生み出され始めました。

 その上、生活を便利にするという魔法の産物は、全世界的な環境破壊を起こし始めました。自然に戻らないゴミ、公害、水質汚染、オゾン層破壊、土壌汚染、動植物の絶滅、気候温暖化、放射能汚染など、便利さと引き換えに、数えきれない程多くのものが失われました。地上は汚れました。

 科学技術が人類の未来を明るくするという希望も、今では疑われ始めています。しかし、その目は天に向かい、宇宙の果てまで進もうとし、神の領域を目指すことで一致団結しますが、それに対して誰ひとり反対しません。今や、貧しい国でさえ、世に名を挙げるために全力を注ぎます。全世界がバベルの塔を建てているのです。まさに、「今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない」という時代に達しています。

 また、世界はグローバル化し、民族•言語という壁も薄くなり、神の創られた抑止力は弱まりました。再びノアの時代と同じ状況となって来たのです。このまま行けば、環境破壊は進み、荒廃が訪れ、いずれ限界に近づきます。科学者たちも、いつか人類の生存の危機が訪れる時が来るのではと予想し、恐ろしい警告をする時代になりました。しかし、すでに二千年前にイエス・キリストはこう預言していました。

 

「そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。」(ルカ21章25−26節)

 

 現在、科学者たちは、気候変動など「その住むすべての所を襲おうとしていること」を予想しています。将来、さらに恐ろしい予想が出るでしょう。いつか私たちはその恐ろしさに気を失うほどになるでしょう。世界は益々、異常気象や天変地異が現れています。しかし、人々はその原因の一端である自分たちが作ったものを悔い改めはしません。

 また近年、西欧諸国ではキリスト教が急激に弱体化しています。かつての高潔で知られたキリスト教国が、どんどん反キリスト教国になっているのです。福音という抑止力を失って、世界はかつてのローマのような残忍な獣性を復活させていくことでしょう。

 バビロン文明の行く末は必ず荒廃があります。それは環境だけでなく、精神的、道徳的にもたらされる荒廃でもあります。本来、数学や法則、科学自体には何の問題もありません。しかし、それを用いる人間側に問題があるのです。それがすべての原因です。ではその原因とは何でしょう? それは人間は堕落した罪人だということです。では、堕落とは何でしょう。それは、神から離れたために、善を行うことができず、悪を行ってしまう存在になった、ということです。

 人は宇宙の法則を発見することはできますが、それを正しく用いることができません。最初は善意から始まった発見も、罪にゆがめられ、いずれ醜悪な物を生み出し、その当然の報いを自分自身に受けるのが常となっています。しかし、人はそれを認めません。たとえ失敗しても、いずれ自分たちは科学を完璧に使えるほど発展し、神のようになれると、どこか信じているのです。しかし、それはかなわぬことです。人は神にはなれないのです。

 

この文明の状況は絶望記とも言えます。では、人類に救いはないのでしょうか?

救いはあるのです。

 

【キリストの十字架】に続く